2014年12月11日木曜日

この1ヶ月ほどでの変化を整理してみる


まず、最近の履歴

父が
忘れっぽいかも…ということで病院に行ったのが
今年2014年6月

うちの家族というのは
それぞれが自由に好きなことをやっている感じで
住んでいる場所もばらばらだ

(母と弟1だけ、同居している)

なので父の様子は
母や弟たちから
風の便りのように
忘れっぽくて…ということを聞いたり
父からも、最近の様子を聞いたりしていた


それまで父は都内で1人暮らしをしていたのだが
1度、母&弟のもとへ寄っての7月から
再度1人暮らしを始めている


母&弟と同居した一瞬でも、
いろいろなことがあったらしいが
詳しくはわからないので割愛


弟2の結婚式が10月の終わり頃で
ここで久しぶりに
父含め、家族全員と会った

結婚式が終わった同じ週に
父から電話があって

珍しいなあ、と思ったら


「一緒に病院に来てくれるか?」


ということで
私も症状がどんな感じか知りたかったから
「いいよ」ということで
ついていった。


それが11月3日


病院へ行くのに待ち合わせをしたら
会うなりそうそう

「昨晩銭湯行ったらよー
俺が鍵をなくしただのなんだの、って
騒いだらしくって
もう来ないでくれ、って言われたんだよ
あたま来るよなー」


というトラブル話を延々と繰り返し繰り返し。

見えないところでトラブっていることが初めてわかったので
それと担当の先生の話をあわせて検討し
翌週、11/11に兄弟含めてこども会議

各自の自由を保持しながら
どのようなレベルで父をサポートできるか、ということについて
意見の交換。

私は
父は、だれか他にも人のいる集合住宅で
且つプライバシーが保てる物件があったら、そこへ移るとよいのでは、という提案。
ちなみに、前日に施設は見学済み。

弟は介護認定の話をしていたが
それをすることによって入居できなくなるタイプの施設もあるということも話す。
弟の意見としても、
現段階で介護認定をしても、
できたとしても、一番軽い段階にしか認定されないだろうということだったので
父の性格から考えると
年寄り扱いだの、
病気の認定だの、て
余計に、精神的に落ち込んで復活が困難になるのでは、という配慮もあり、
介護認定は見送り。


兄弟だけで進めていったら
あとで知った母がぶち切れるだろう(仲間はずれになることで)という配慮から
こども会議があらかた終了したところで
母が加わり、
担当医の話を録音した音声で、
現在の症状について、客観的に把握してもらいながら、
感情を交えず、責めることなく
ただ、今後どのような形の日常を選択したいか、ということを提案する
ということでおしまい。


この間に、
私は個人的に
銭湯の話
病院での父の様子と
思い返せばちょっとあれだな、という結婚式の様子から総合的に判断し
フラワーエッセンスの投入を検討


そして父にたずねてみた結果
「使ってみる」
ということだったので
エッセンスとアロマを使い始める。


これが同じ週の週末からスタート。


そして代替療法を加えた父の日常が始まり
12月5日が再診日。



この日に
帯津先生の病院への紹介状を書いてもらうことを
担当の先生に伝えるよう父に念押ししておいたが
これは無事にクリア。


次回までに用意しておく、ということだったらしく
私が資料を用意して
ファイルごと持っていって話すと良い、と伝えてあったとはいえ
はっきり言うなら
結婚式の様子から想定される父とは明らかな変化があり
本人も
変化については大きく自覚がある。

次から
時間経過に沿って
使ったものや父の変化を説明していくことにする。



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